さいとう・たかを賞 選考委員インタビュー 佐藤優委員

さいとう・たかを賞 選考委員インタビュー 佐藤優委員

 

第1回さいとう・たかを賞から最終選考会選考委員を務める佐藤優委員に、第5回さいとう・たかを賞選考会での視点や、賞の意義や期待することをお聞きしました。

 

 

――さいとう・たかを賞の審査はいかがでしょうか

 

選考委員が全員現役だからこそ、面白い賞になっていると感じます。現役ではない人たちが審査をすると、賞の力は落ちてしまいます。それは年齢は関係ないです、70歳でも80歳でも仕事を続けている人であるということです。だから、さいとう・たかを賞は合議制でやれていると思います。例えば長崎さんからは、この部分は作画家と脚本家のどちらが主導して作品を引っ張っているとか編集者の視点の話が聞けます。私はマンガの世界を知らなくて、物書きという立場で参加していますが、消費者の目線から作品に接しているからこそ見えるものもあります。他の審査員の皆さんはマンガのプロですよね。脚本、作画、プロデューサーといった違った視点から多面的に考察されています。

 

他の選考会の場合は、「A」「B」「C」と評価をする際に、相対評価でつけることが多いんですよ。一方、さいとう・たかを賞では、皆さんが相対評価ではなく、絶対評価で良いと思ったら「A」をつけています。その評価の上で選考会では徹底的に議論し、それぞれが納得した上で決めていく。このやり方が、さいとう・たかを賞ならではの特徴だと思います。

 

――マンガ業界を俯瞰的に見て、さいとう・たかを賞に対して思うところを教えてください

 

画と原作の力関係が、全く同じように均衡している作品は一つもありません。第5回さいとう・たかを賞に『Shrink〜精神科医ヨワイ〜』が選ばれたのは、脚本の力。作品の背景や調査を高く評価しようというコンセンサスが議論する中でまとまっていきました。今回は、さいとう先生がおられない選考ということで、よりさいとう先生のスピリッツを生かさないといけない。これまでの選考会では、いわゆる一昔前の劇画的な枠が比較的尊重されてきましたが、もう少しもうそこは幅を広げてもいいんじゃないか。そのようなコンセンサスもあったように思いますし、ノミネート作品自体にも現れていました。

 

ノミネート作品は時代状況を敏感に反映していると考えています。さらに重要なのは、当事者である原作者や作画家、あるいはその編集者も、どういう時代状況を反映しているかは気づいていないということ。実際に、その時代の状況をどのように反映しているかを考えるべきなのが、評論家の仕事なのですが、文芸評論家も細ってきていて、文壇があるのかどうかもよくわからないような状態になってしまっている。一時期は漫画評論も確立した分野としてありましたが、同じように近年は弱ってきていますよね。

 

選考会を通じて、さいとう・たかを賞には評論的な機能も求められていると思いました。この作品はこのように時代を反映しているとかの目線です。例えば、野球作品だけれども、選挙と同じ構造で読み解けるんじゃないかといったアナロジカルな見方です。

 

受賞作だけではなく、例えば『満州アヘンスクワッド』にしても、中国に対するイメージの変化は明らかにみえます。

 

また、前回はぜひ賞を取らせたいと思った作品が、今年になると少し違うように見えてしまう。時代の状況も違うし、登場人物の成長の度合いよっても変わってきます。そうしたことを全て考慮しながら、今の段階において、最も賞をあげたい作品を選ぶのが良いと思っています。

 

――電子コミックスの台頭でマンガのあり方も変わってきました

 

電子だと「流れ」、つまり画の力の方が相対的に強くなると感じました。パワーポイントやスライドと親和性が高いように思いますね。ノミネート作『BORDER66』は作品のテーマが若い人向けでしたし、電子媒体で流して読みやすい作品で、文字自体は背景に近い。背景に近い文字と、絶対に読ませないといけない文字を文字の大きさによって区別することで、全部の文字を読まなくても流れがわかる作りになっています。今回の選考で感じたのは、紙と電子の両方で読んで、印象を比べないといけないということ。別の媒体を使って読んだ時に、どのように見えるのかも重要ではないでしょうか。

 

――紙媒体向けのマンガだけではなく、広告やSNS向けの漫画、イラストカットを描く作家が増えています

 

芸術家だから少し頑固なところがないといけないときもありますからね。編集者からすると、頑固がじゃない方が仕事をしやすいかもしれません。しかし、そこそこ部数は取れても、何か一つブレイクしないという壁を感じるのであれば、こだわるべき頑固な部分が必要なのかもしれません。

 

――さいとう・たかを賞に期待することを教えてください

 

エンターテイメントで、なおかつ、持続可能性がある作品。さいとう先生はその二つの難しい条件を新しく作りあげました。変化させないことと、変化させるべきことの仕分けはとても難しい。間違えると滑ってしまいますからね。

 

毎年、さいとう・たかを賞に、期待にかなう作品が出てくることにおいて、日本のマンガの創造力は全く枯渇していないと感じます。ノンフィクション系の賞だと、「該当作なし」ということも最近では時々ありますから。

 

今後も、面白いを追求した作品が多く集まってほしいです。作家が生活を立てていくために、オーダーに応じたものを描けるということももちろん重要です。持続可能性の観点からすると、いろいろなことできないといけませんから。ただ、そこでやりたいことがなくなってしまうのは良くない。部数だけを追いかける。あるいは今確立している名前だけを維持するだけでは、つまらなくなってしまいます。

 

さいとう先生は、とにかく常に面白いことに関心を持ち続ける姿勢でした。そのスピリッツは、選考委員の我々が全員継承していると思います。さいとう先生はマンガを"娯楽"と考えていたからこそ、面白くないと駄目だよ、と。これは肝に銘じなければいけないところだと思います。

 

――分業制マンガにはどのような良い面があるでしょうか

 

ケミストリーが生じることです。今後はさら分業制が主流になっていくと思います。

 

――編集者の役割についてはいかがでしょうか

 

ノンフィクションの編集者とマンガの編集者、ともに名前は編集者ですが、マンガの編集者はプロデューサーとしての要素が圧倒的に大きい。そして状況によっては作品をいじっても構わない。これはノンフィクションと全く別の生態系ですよね。おそらくいずれの世界でも10年経験したら、別の世界には行けなくなる。それぐらい高度な専門性の高い別の世界だと思います。

 

編集者の話で言えば、さいとう先生はもしかしたらもう少し先を見ていたのかもしれません。出版社に所属している編集者が中心の時代が、この先は終わっていくんじゃないかと。
フリーランスの編集者たちが面白い企画を作り各社に持ち込んでいく。その面白さに対して目利きの出版社に所属する編集者たちが作品を受けとる。そういう時代になると、どこかで意識していたのではないでしょうか。

 

さいとう先生は、マンガが貸本の時代だった頃から週刊誌、コミックスと変わっていく時代を経験されています。貸本の時代は、「これ」という名作を生み出せば、相当長く生きていける、職人芸的な時代でした。この貸本文化は、長い日本の江戸時代の黄表紙のように、長い間大衆文学の分野だったわけです。それに対して、高級な文学書は自分で所有するものだった。それが、コミックスのようなエンタメでも自分で所有する時代になった。この時代の転換は、今の電子への転換よりもはるかに超えるものだと思うんです。

 

さいとう先生は「俺は1人でやったら潰れちまうから、そんないくつも作れないから、分業なんだ」って。分業は当時、下に見られていても、それに対して言い返すのではなく、作品の力によって説明していました。

 

さいとう先生は、ほんとうに優しい人で、誰にも丁寧ですよ。でも、ものすごい闘志を持っている。そして、他人の悪口を言わない人ですよね。格好つけて他人の悪口言わないのではなく、そういう感情はないんでしょうね。だから、みんなファンになるんです。

 

――昨年はコロナによって最終選考会が延期となり、今回のノミネート作品もコロナ禍で制作された作品が並びました。作品に変化は感じましたか?

 

社会全体が引きこもり生活を余儀なくされ、多くの人の神経が鋭敏になっていった。だから普段気づかないことに気が付くこともあります。少なくとも、マンガの世界に関しては、コロナによって明らかにプラスになっていると選考会を通して感じました。

 

毎年どの作品が受賞するかは紙一重で、どれが受賞してもおかしくない。苦渋の選択は、我々も毎回したいわけです。今後、どんどん新しいジャンルを切り開いてもらいたい。分業制のスタイルで新たな作品をどんどんどん応募してほしいと思います。

 

来年は、さらにその影響が出てくるでしょう。願わくばコロナの流行は終わってほしいですが、来年に出てくる作品で、日本のマンガの水準はまた一段階上がっていく。そのような面は救いかなと思います。

 

インタビュー:山内康裕
執筆:松尾奈々絵
編集:山内康裕